七月十二日の雑記事。

七十二候は蓮始開(はすはじめてひらく)、七月十二日です。

蓮の花。仏教では極楽の花、と教えられているそうで、どろりと濁った沼地から咲く綺麗な花が咲く様はさぞかし救いに見えることでしょう。

小さい頃に住んでいた田舎では家の周りの田んぼにたくさん蓮華が咲いていて、さらに家の裏には蓮華が名前についた山(今考えると、仏教的な名付け由来だったんだろうなぁ)があって、蓮華はなんとなく幼い頃から馴染みの深い花でした。それから上京してみれば蓮の花が咲くような場所なんて上野の不忍池くらいしか知らない。今住んでいる地域は行政による植花がいっぱいあるけれど、それでも蓮の花はすっかり縁遠くなってしまった。

あの周辺にはよりつきたくはないものの咲く時間は午前中の早い時間だそうで、週末の早朝とかにふらーっと自転車でお散歩してみようかなと思います。まぁ、わざわざ出かけなくたって弊FCの庭にもたまに蓮の花が咲いて(飛んで)るんですけども。風流ですね。

 

出不精なので、せっかく家を出るなら着飾って好きなお店を巡りたいなぁと思いつつ、推しのかき氷屋さんも時期柄連日行列を為すようになり、また風が冷たくなる頃までお預けになりそう。

コーヒー屋さんで好きな豆を買って挽いてもらって、暑さで茹でダコになりながら帰宅して、まだ冷え切らない蒸し暑さに耐えながらドリップしたコーヒーを、キンキンの氷たっぷりのグラスに落とした時に、グラスの中で氷がほどける音が好き。ビールしかりレモンスカッシュしかり、「暑さに耐えたあとの冷たい飲料の気持ちよさ」が幸せな時期になったよ。

今週末はそういう初夏の愛し方ができたらいいなぁ。

 

 

こっからはお酒飲んでふらふらの帰りの電車ログ。

 

やっぱお酒飲むと音楽が5割増しで紐解けて気持ち良い……。

ベースの音、ドラムの音にもぐっていく感覚。裏側から聴き入る感覚。おなかに響いて体のなかに溶けていく感覚。好き。

1拍子が喉元を過ぎない。味が鈍く響く。今差し込まれた♭を耳が逃さない。このメロディを補強するためのこの音運びが、音選びが、耳からの情報が脳と視覚と味覚をぜんぶ塗り潰していくのが気持ちいい。1音がどんどんマクロになって一粒の集合体になってそれが1秒の中に溢れて、押し出されるように次の1秒を作り続ける。その1秒その1粒を全部体内に取り込んで私と一体化したとき、そこからこの一曲が終わる瞬間まで鳥肌が立つほど気持ちが良くなる。

私これ入力しながら、ものは試しにとアンパンマーチを聞いてみたんですけど全然いける。味を紐解いて体を震わせられる。ただ音の種類の部分で宗教観がちょっと強くてこれを取り込むのはすごい危険だって感覚がする。響くタイプの音に子供の声はね、宗教的メッセ―ジが強いって。お酒飲もうぜっていきなり誘える友人いないなっちゃったな。寂しいな。